
空港へ出向く。
友人は、近所へ買い物へ行くように出国(帰国)した。まだGW前の空港は落ち着いており、外国人の方が目についた。そろそろまた人々で一気に賑わうだろう。
ふとその場でよみがえった記憶。
まだ幼かった子供時代、海外ゲートでの親の見送りは、今生の別れかと本気で思っていた。何もかもが大きく見え、人々と数々の飛行機にワクワクしていた(今日も)
当時、空港まで付いていくと、まずお気に入りのお菓子を買って貰った。が、その後、確か空港内・会議室のような部屋に一緒に連れて行かれた。子供の自分は、外国人との会談のいわゆる緩衝材でもあり、多忙さ故、それがコミュニケーションの一つだった。と今頃悟る。時にそのような事が違った(笑えない)形で続く(人によってはトラウマもの)・・・現在、いい意味で世界🌏に境界線をあまり感じないことに感謝している。
しかし、常に敬意と危機感も忘れずに😅(特に国外においては情勢次第であり)
そして、空港は大きな夢や欲望も含めたパワーある集合体でもある。
確か某ファッションデザイナーは、インスピレーションを得たい時は、ただ空港にずっといて人々を眺めていると聞く。
戻れば、清廉とした気持ちでまた書に勤しむ・・・
生きる上での静と動、大と小のバランスは大事
☆書道の文字もまた然り☆
未来見つめる空港&✈は、人生のステーションでもある